第11回メルマガ・2024.7.9・近江商人

 いつも弊社のメールマガジンをご覧いただきありがとうございます。先月、滋賀の実家(近江八幡市)に帰省した道すがら「伊藤忠兵衛記念館」を見学してきました。

伊藤忠商事、丸紅の創始者・伊藤忠兵衛が暮らしていた屋敷を整備し、一般に公開しています。当時のままで残されています。落ち着いた雰囲気で手入れが行き届いた部屋、庭、調度品から堅実的な暮らしぶりが伺えました。

この地域は江戸時代から明治にかけて活躍した近江商人発祥の地です。近江商人とは近江国(現在の滋賀県)に本店を置き、他国へ行商して歩いた商人の総称です。

近江商人の経営哲学「売り手によし、買い手によし、世間によし」を表す「三方よし」が有名です。今日ではWin-Win(ウィンウィン)とコンプライアンスといったところでしょうか。長い歴史の中で到達した仕事の黄金律です。

私は現在、東京で粉じん爆発の防護設備の普及、販売に携わっています。

人・企業・社会とのWin-Winを意識しつつ、コツコツと行商していこうと思います。

エピソード1

メールマガジンの内容以上です。近江商人が、「なぜ滋賀県から発祥したのか」まで理由が書けませんでしたので調べた内容を簡単に書いておきます。

1.地理的条件・水運の利便性・京都との近接

近江は琵琶湖に面した位置にあり、交通の要所であったため、古くから交易や物流が盛んであった。近江はかつて首都であった京都に近く、経済的・文化的なつながりが深かったため、近江商人は京都市場へのアクセスが比較的容易だった。

2.商人の組織化と信用の確立

近江商人は商業活動を行う上で、組織化された商人集団としての特性があった。彼らは相互の信頼関係を築き、財を交換するだけでなく、信用を通じて取引を行っていた。

3.文化的背景と教育の重視

地域社会全体での教育と文化的な背景があった。特に、近江商人は教育を重んじ、その中で商業技術や商売のノウハウを学ぶ機会を得られた。

これらの要因が複合的に作用し、滋賀県・近江地方が近江商人の発祥地として栄えたようです。

エピソード2

私が前職で受けた新人教育を思い出しました。「てんびんの詩」というビデオ鑑賞です。滋賀県の商人の家で生まれた少年が「商い」の旅に出る、というストーリーでした。

教育担当の講師から、「有薗さんは滋賀県出身だから近江商人のことはご存知ですよね。」と言われ「もちろんです!」と答えたものの、詳しく近江商人のことを説明することができませんでした。

「地元のことはある程度説明できるぐらい知っておかなくては」と、その当時は少し思ったかもしれませんが、そのままでした。最近になってやっと地元のことに興味がわき、歴史を調べ、神社仏閣を訪ね始めました。結構おもしろいです。

今後、HPでも紹介していきます。

追記

エピソード1で、滋賀県から近江商人が発祥した理由を書いていますが、さらに説得力のある文章を見つけましたので紹介します。

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渡辺守順「近江路・琵琶湖」より

秀吉は、秀次に八幡城を築かせ、楽市・楽座の制をもって商業を促進したが、秀次もすぐ転封となり、かわって京極高次が城主となったけれど、石高がひどく減少され、八幡の城下はすっかりさびれてしまった。そこで八幡の人々が考えたことは全国的な行商によって、新しく生きる道を求めることであった。これが近江商人の発展となった。

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おかみ頼りではなく、自ら道を切り開いていく気概を近江商人はもっていたようです。

以上

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