記憶に残る条件 2020.1.11

S田さんから新年の挨拶と退職のお知らせメールが届いた。

S田さんとは、何度か一緒に仕事させてもらったことがある。返事のメールを書く際に、ふと思い出したことを文章として残しておこうと思う。

以前、ドイツメーカーとコラボして、ある医薬品メーカーに機械装置を納める仕事をした。装置の打ち合わせのため、そのプロジェクトに関係するメンバー6人がドイツに向かった。自分は機械設計者として、S田さんは客先との連絡窓口および通訳としての参加だった。仕事は問題なく進んだ。

ドイツ出張先で一日休みが取れたので、皆で観光することになった。S田さんは、「隣の街に有名な観光名所があるので、列車を利用して皆さんで行きませんか」と提案してくれた。S田さんは何度かこの街に訪れたこともあり、言葉にも不自由しないし、どのようなスチエーションであっても気が利き、プロのツアーガイドのようで心強い。

しかしながら、自分は休みの日には一人でのんびりしたかったので、そのツアーには加わらなかった。私以外は観光地に行くことになった。

当日、自分は気ままに自転車で街や近郊を廻る計画を立て、レンタル自転車を借りる手続きを試みたが、いろいろ手間がかかることが判り自転車を借りるのは諦めた。

仕方なく、街をプラプラ歩き博物館などを見たが、時間がまだ十分あったので今度は路面電車に乗り終点の町まで行く事にした。

終点の町は静かで野原が広がり、川沿いの小道を気の赴くまま歩いた。途中、古い城跡や住宅街を見て回った。

ここがポイントなのだが、その時の記憶が鮮明なのだ。なんでもない景色だが良く覚えている。

打ち合わせで訪ねた会社の様子も、街も宿泊したホテルも今となっては記憶が薄れ、ほとんど忘れてしまっている。なのに、あのとき歩いた何でも無い風景は自分の記憶に鮮明に焼き付いている。

なぜ何でも無い風景の記憶が心に鮮明に残っているのだろう。自分なりに考えてみた。

田舎や自然が好きなのも理由の一つだが、一番は自分で主体的に行動したからかもしれない。

自分はグループで行動する際、楽な行動、つまり何も考えずに人の後について行く傾向がある。でもこの時は自分の頭で考え、計画を立て行動したので、鮮明に記憶に残ったのかもしれない。

グループ、集団、団体だと大きなことを成し遂げられ、個人だとたいしたことができないと思いがちだ。だが、個人であっても主体的に行動さえしていれば、その経験がしっかりと記憶に残り、人生を振り返った際、充実した人生だったといえるのではないか。

「自分が主人公の人生」、よく聞く言葉だが、結構難しいと思う。苦しく辛いことも多いだろう。しかし、幸せを感じる場面が確実に多いと思う。