光陰矢の如し 2012.9.10

だいぶ暑さも和らいできたものの、まだまだ暑い日が続いています。今日も東京は33度ぐらいまで気温が上昇するそうです。体調には気をつけましょう。
今朝は後ろの白板に書きました、「光陰矢の如し」という題で話をさせていただきます。
出張に出かけたりする際、たまに先輩社員の方と一緒に出張に行く事があります。
その出張の移動や待ち時間に、仕事以外の世間話をすることがありますが、その際、私がその先輩の方々に必ず聞く質問があります。それは「誰々さん定年を迎えたら、その後どうされるのですか」というものです。
もちろん、それなりに考えておられるのでしょうが、このような質問をしてもタイミングが悪いのか、聞き方が悪いのか、漠然とした答えしか返してもらえなかったり、答えをはぐらかされたりしてしまって、なかなか本音が聞けないというのが実情です。
なぜこのような質問するかというと、その先輩の方々、年齢に対して外見が若く、まだ最前線でバリバリ働いている人ばかりなので、今後の事、将来の事をどう考えておられるのか、個人的に参考にしたいですし興味があるからです。
その昔、定年を迎える60才ぐらいの人は、私にとって「おじいさん」というイメージでしたが、自分が年を重ね、また定年を迎えた諸先輩方の仕事ぶりや、外見等を見る限り、「おじいさん」という印象は全く無くなって、「おじさん」になり、今ではほとんど「兄さん」と感じるぐらいです。
昨今、日本人男性の平均寿命は79才、女性は86歳です。定年を迎えたら、のんびり暮らしたいという意見も多くあるでしょうが、その先20年はありますから、結構長いです。
私の父はとっくの昔に定年を迎えていますが、定年後は不定期にアルバイトしたり自治会の仕事をしたり、畑仕事をしたりと、好きなこと、やりたいことを見つけてそれなりに過ごしています。
振り返って、自分の将来はどう考えているのかというと、働ける限り働きたいと思っているものの、正直まだ真剣に考えてはいません。
一日一日を大切に過ごせばとりあえずはいいだろう。また心のどこかに自分にはまだまだ時間があるからと思っているからかもしれません。
しかし本当に時間はあるのでしょうか。
年を重ねると、なぜか時間が経過するのが早く感じられます。これは、「ジャネーの法則」というのがあって、この場では詳しい説明を省きますが、要は心理的な時間の長さは、年齢に反比例するという説です。
まだまだ時間があると思っても、年をとるごとに時間の経過が早く感じ、実際は、あっという間に年をとってしまう可能性があるわけです。
ということでやっと本日の題名「光陰(こういん)矢の如(ごと)し」に行き着くわけです。
この意味は、「月日の経つのは矢が飛ぶように、あっという間で二度と戻ってこないから無為に送るべきでないという戒めを含んだことわざ」です。
無駄に日々を送らないように気をつけるのは理解できましたが、具体的に何すればいいのと疑問が生じます。
この疑問に対して参考になる本があったので一部引用します。
仕事の場では常に学ぶことがある。壮年期(漢字で書くと、壮大のソウですが)によく仕事をしてきた人は、学び続けてきたという自覚がある。
ところが、これが案外錯覚なのである。壮年期というのは、その人の人生の中で、最も働き盛りで仕事も充実している時なのだが、だからこそ、ごまかされやすい。
仕事に打ち込んでいる時には、真剣になって仕事についての勉強もし、新しい情報にもどんどん接する。
そして、勉強すればする程仕事も面白くなっていく。だから、「学んでいる」と思い込んでしまうのだ。
だが、こうして一生懸命に働いて定年を迎え、ではこれから何をやっていこうか、と考えた時、ハタと何も学んでないことに気づく。やることが何も思いつかない。
仕事中に学んだことが、その会社や地位を離れた途端に、何も役に立たないことに気づく。こういうことが多いのだ。
この本の著者は、そうならないためにも、仕事とは別に常日頃から自分の興味のあることを勉強し、それを蓄積しろと述べています。
高齢になっても元気に働いている職業の例として、政治家の人たちがいますが、なんで政界の人たちは、あんなに元気なのか不思議に思っていました。
私と同じ疑問をもった人がいて、その人が言うには、丈夫な人たちだけが残っているのでは、ということでした。一理あると思います。
どうしても、年をとると、いろんな箇所にガタででてきます。私の場合で言うと、目、歯、頭、体力、特に最近ショックだったのは、娘に「なんか臭い」と言われたことです。オヤジ臭には気を付けようと思いました。
最後に、これからも健康で長く働いていくために、体力維持も仕事の内と心得て、自身をメンテナンスしていこうと思います。
それでは、今週も張り切って一週間を過ごしましょう。
以上です。