スイス人と日本人・木こりのジレンマ 2009.9.7

このところ各地で地震が続いていますね。先月末の出来事ですが朝、ニュースを見ていると緊急地震警戒速報が出ました。「えー地震くるの?」「どうしよう」と言いながらも、私は何もせずにニュースを見続けていました。
かたや妻は、家族分の防災グッズが入ったリュックを玄関前に、あっという間に準備したのには感心しました。
結局その地震警戒速報は誤報だったので安心しましたが、防災訓練の「指揮係長」としては面目まるつぶれの出来事でした。
話は変りまして、今回は2つ話をします。最初の話は、ある日本人男性がスイス人の友達二人とミラノに旅行した際の話です。
旅行途中、列車の乗り換えのため、駅で45分ほど待ち時間が生じました。日本人男性は「45分しかないのなら観光は無理だな。駅で時間まで待っていよう」と考えました。
ところがスイス人の友人たちは、「こんなに時間があるなんてもったいない。近くにお城があるから見に行こう」と言い出したそうです。
しかし駅からどの方向を見ても、お城なんて見えません。結構遠いのではないか、時間までに帰って来ることができるのか心配な男性をよそに、友人たちは、いかにも楽しそうにおしゃべりしながら、ゆっくり歩きはじめたそうです。
お城を無事、見学して駅に戻ったのが、発車の8分前、一刻も早く出発ホームに行きたいのに、今度は友人の一人が「この駅のエスプレッソは、ミラノでいちばんおいしいからぜひ飲んでいこうよ」と言い出す始末です。
日本人男性は、そんなことはどうでもいいから、早くホームに行こうと主張しましたが、大丈夫だからと二人に引きずられるようにコーヒースタンドに連れて行かれたそうです。
コーヒースタンドでコーヒーを飲んでも、この男性は味さえわからないほど気がせいていたのに対して、友人は「やはりここのコーヒーは旨いな」と言いながら、じっくりコーヒーを楽しんでいたそうです。
結局、列車の出発にはぴったり間に合い、ほっとしたものの、列車に乗ったとき、男性は冷や汗をびっしょりかいていたそうです。そして男性は一連の出来事を振り返りました。友人たちは、ゆったりと楽しい45分をすごした。それにひきかえ、自分の45分は何だったのだろうと。
同じ45分でも友人達にとっては「充実した時間」その男性にとっては「すごく不安な時間」だったわけです。別の言い方をすれば、同じ時間を過ごすにしても「気持ちの持ち方」ひとつでキリキリ舞いしてしまうこともあるし、ゆったりと豊かに過ごすことも出来る、ということでしょうか。
日ごろ、私はどちらかというと、時間に追われている部分が多いのではないか、本当に時間を大切にしていると言えるのかと、考えさせられたので、この話を紹介してみました。
それではもう一つは、「木こりのジレンマ」という話です。
あるところに木こりがいました。その木こりが新しい斧を手に入れたそうです。よく切れる斧で一日に10本切れるのだそうです。木こりは働き者で、毎日熱心に木を切り倒していました。
熱心に木を切り倒しているのは良いのですが、そのうちに同じ10本の木を切り倒すのに、以前より時間がかかってしまうようになりました。
その様子を見ていた木こりの仲間が、木こりが使っている斧を見て、「なぜ斧の刃を研がない?」と聞いたそうです。
すると木こりは「毎日忙しくて斧の刃を研ぐ時間が無いのだ」と答えたという話です。
話はこれだけですが、この話の中の「斧の刃を研ぐ行為」が何に相当するかは、人によって違ってくると思います。
木こりが、木を切り倒す、という行為を私たちが日々行っている日常業務だと仮定します。特定の業務を切り出し、今までかかっていた時間を、半分にする方法がないかと一生懸命に「考える」ことが、「斧の刃を研ぐ」に相当する行為かもしれません。
また、気分転換、休養をとるのも「斧の刃を研ぐ」と言えるかもしれません。私が「斧の刃を研ぐ」行為で最初にイメージしたのは、仕事上の「スキルアップ」でした。手入れしないと、ぼろぼろになりますし、毎日こまめに手入れして、鋭く磨きあげることもできる、といえます。
最後になりますが、行き詰まったりワンパターンになったりして、効率が落ちてきた場合、一度立ち止まって「斧の刃を研ぐ」に相当する行為は何かを考えてみるも一つの方法かと思います。
それでは、今週もはりきって一週間を過ごしましょう。朝礼の話は以上になります。