技術伝承と目黒のさんま 2015.7.27

数年前から化学メーカーの工場で、大きな火災や事故が続けて発生したことが問題になっています。共通して指摘されているのは、経験豊富な団塊の世代が一斉に退職したことにより、その技術、ノウハウが伝わっていないのではないか。また現場力の低下つまり運転員の知識不足、経験不足に原因があるのでは、と言われています。
化学メーカーに限らず全ての企業において、熟練者から若手に技術・技能を継承していくのは大切であるとわかっているものの、なかなか成果が上がっていないのが実情のようです。ある調査によると技術・技能の伝承には5つの誤解があり、それが技術・技能の伝承を妨げていると指摘しています。
その5つの誤解とは、
誤解(1):経験を積めば、だれでもノウハウを継承できる
誤解(2):熟練者は積極的に技術・技能の伝承を支援してくれる
誤解(3):若手は意欲的にノウハウを吸収する
誤解(4):仕組みを作れば、後はうまくいく
誤解(5):職場は、技術・技能の伝承の取り組みをサポートしてくれる
というものです。どれもそれなりの事を言っているようですが、そこに落し穴があるというものです。次に、具体的な話として私の属している部署の話をしますが、その前に言葉の定義をはっきりさせます。
「技能」という言葉は、知識や頭を使わなくても体が自然に動いて生産活動ができるという、いわば人間の体に染みついた能力です。「技能」はいわば会得するというものという意味も含みますので、この発表の場では以降「技能」ではなく「技術」という言葉を使います。「技術」という言葉は知識やシステムを使って、自分一人でなく、他の人たちとの関係で全体を作り上げていくのものという広い概念の意味で使用します。
次に「伝承」とは時間をかけて確立されたものが、世代を超えて変わることなく引き継がれるというイメージがあります。しかし、受け継がれた技術は、絶対に変えてはいけない、という事はなく、むしろ周囲の状況や制約条件の変化に応じて変えるべきものと考えます。そこで、今回は「技術の伝承」ではなく「技術を伝える」もしくは「技術の伝達」という言葉を使って話します。
話は戻りまして、私が所属している部署の取り組みを紹介します。技術を伝える具体的な場としては、新人教育・安全教育・OJT・トレーナー&トレーニー制度・中堅、ベテラン社員が入社数年の若手部員に教育する毎月の集合教育・他部署との合同ミーティング・セミナー、講演会参加後の報告会、などです。
技術を伝える書類ツールは、各装置の設計資料・設計時に確認しながらチェックするチェックリスト・トラブル報告書・手直し依頼伝票等があります。このように、いろいろ実施していますが、本当に技術が伝わっているのか、効果が上がっているかどうかは判断の難いところです。
では、どのような事に気をつけて技術の伝達をしていけ良いのか。アプローチの方法は、いくつもあると思いますが、いろいろ説明しても印象にのこりませんので、この場では要点3つに絞って説明します。
まず1つ目ですが、「目黒のさんま」という古典落語を例にとって説明します。あるとき、目黒に鷹狩に出かけた殿様は、立ち寄った茶屋でさんまをはじめて食べます。当時、さんまは庶民しか食べない物でしたが、旬の時期は脂がのっていて、ただ焼いただけでもその味は絶品です。
初めてさんまを食べた殿様は、その味が忘れられず、お城に帰った後に家来にさんまを出すように命じます。しかし、お城の料理番は殿様が食べるのだからと気を利かしてさんまの脂を抜き、食べやすく、骨抜きをして蒸し焼き状態で出します。当然そんなさんまは食べてもおいしくないので、興ざめした殿様は「さんまは目黒にかぎる」と言ったのが話のオチです。
多くの技術伝達の現場で、この話に似たことが起こっていると言われています。「目黒のさんま」の中で、さんまを調理した料理番がやったことは、技術を伝えるときに伝達者が犯しやすい間違いと同じです。
本人は「食べやすく」(わかりやすく)と配慮しているつもりですが、その事が、さんまを「おいしくないもの」(つまらないもの)にしてしまいました。
技術を伝える現場で伝達者が犯しやすい間違いは、「わかりやすく」するために話自体を、整理しすぎて、つまらないものにしてしまい、結果として伝わらない、という結果になってしまうことです。遠慮せずに自分にとっての事実を生々しく語ればよい、そのほうが相手の興味を引くことができるという話でした。
2つめは「暗黙知」を「形式知」化する、です。ある分野、業界にいる人であれば当たり前の事として知られている知識があります。これが「暗黙知」です。漢字で書くと暗い、黙る、知識の知です。
現場で技術に携わっている人であれば、誰でも自然に覚える知識の事です。ですから熟達した技術者は当たり前の事として認識しているため、伝達する必要性さえ感じていません。そのため非常に大切な知識であるにもかかわらず、言葉や文字で残そうとしていないケースが多々あります。
以前だったら上の先輩について徐々に覚えていけば何の問題もなかったことが、今は環境が変わって常に一定の新入社員が毎年入ってくるわけでもない、世代間の断絶や社員だけでなく派遣社員の方々とも一緒に仕事するのも、今や普通の事です。
そこで「暗黙知」を「形式知」することが重要になってきています。形式知を漢字で書くと形状の形、式場の式、知識の知です。具体的な対策は、文字、文章、絵、写真、動画に残して記録す。次の世代が読むこと見ることを前提とした資料を作ります。
そしてそれを、電子文書化し検索できるようにして、知識の共有化をはかる。このことが重要だと思います。
これらの事をしていれば、本来経験しなくてもいいはずの無駄な失敗や、致命的な失敗が起こる危険性を減らせる可能性が高いのではないかと考えます。
3つめは[偽ベテラン]になるな、という話です。誰からか与えられたものをそのまま受けいれるというのは、基本的につまらない事です。これが技術の伝達を妨げる一因になっています。つまらないからといって、それで学ぶことを放棄していては、そこから一歩も進めません。茶道や武道の世界には、守・破・離という教えがあります。
漢字で書くと「守」=「まもる」、「破」=「やぶる」、「離」=「はなれる」と書きます。これは、その人のレベルに応じて、それぞれの段階でどのようなことを実践すべきかを示したものです。
「守」は決まった作法や型を守る段階、「破」はその状態を破って作法や型を自分なりに改良する段階、最後の「離」は作法や型を離れて独自の世界を開く段階です。
仕事も同じように決められたことを真面目に守る[守]、つまり真似から始まって、徐々にレベルを[破]や[離]の状態まで上げていくことで、仕事に面白身がでてくるのだと思います。
ここで注意すべき事、勘違いし易い点は、長年やっていれば誰でもそれなりの技術を習得できる事です。しかしこのようなものは本来、技術の伝達・習得という言い方は不適切で、ただ単に技術に慣れただけです。
経験と慣れだけで技術を獲得してきた人を「偽ベテラン」と言うそうです。反対に真のベテランとは、極端な言い方をすると人が5年かけて取得した技術を1年の期間で習得し、残りの時間をさらなる技術の進歩のために使っているような人だそうです。
最後になりますが、技術を伝えるために、私が言いたかった3つの事は、
1「目黒のさんま」を例に、整理しすぎるな、実体験を生々しく語れ
2「暗黙知」を表に引きずり出せ「見える」ようにせよ
3経験と慣れだけの「偽ベテラン」にはなるな
ということでした。以上になります。今週も張り切って一週間を過ごしましょう。
ご清聴ありがとうございました。