病気詳細とリハビリ 2017.12.11

今年の8月8日から約4か月近く病気で会社休んでいました。先月11月半ばからは、週1日、月曜日は出社して、残り火曜から金曜日は在宅勤務という形で仕事をしています。多くの方々に心配とご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。また多くの方々がお忙しい中、病院までお見舞いに来て頂き、感謝いたします。
今朝の朝礼の話は、私が病気になって体験した事を、お話ししたいと思います。病名は脳梗塞です。脳の血管が一部、詰まってしまいました。
ざっとした経緯をたどりますと、朝、立つことができなくなって、救急車で運ばれて即入院、最初の1ヶ月間(34日)は、治療と検査とリハビリ、2ヶ月目(37日)はリハビリ専門の病院に転院、3ヶ月目(23日)に退院して自宅療養、4ヶ月目でやっとと言うか、まだ万全ではないものの社会復帰できたという経緯です。
病気の発端は8月7日の夜、寝ようとしたら酷い頭痛がしました。その時は風邪ぎみだったので、その関係かなと思い、その夜はそのまま無理やり寝ようとしたのですが、症状はだんだん悪化して、朝、トイレに行こうとしたら、うまく立てません。あれ、これはおかしいぞと。あせりました。赤ちゃんのように4つん足になって進もうとしても体が傾いて、倒れてしまいます。お尻を床に引きずりながら、階段を降りて玄関まで辿り着き、朝6時、救急車呼び、家の近くある大きな病院に搬送されました。
通常、私は妻と子供2人の4人暮らしですが、私以外は、ちょうど実家に帰省したばかりで、私は家に1人でしたので、朝、意識があって救急車を呼べたのは、今から思うと不幸中の幸いでした。子供達は、楽しみにしていた秋田の実家で過ごす10日間の夏休みが、たった23時間滞在でトンボ返りになる事態になってしまいました。
病院では、MRI検査で、脳の延髄付近の血管が詰まって、瘤のようになっている箇所が見つかりました。血管の壁は3層構造になっているのですが、その内側の壁が一部破けて、血液が流れ込み血管がコブのように膨れて、血液が適切に流れない状態になっていました。
現在日本人の死亡原因を5位まで順番に言いますと、1位「ガン」2位「心臓病」3位「肺炎」4位「脳卒中」5位「老衰」だそうです。私が罹った病気は4位の「脳卒中」に含まれます。脳卒中は2種類あり、脳出血、くも膜下出血と言われる血管が破れて出血するタイプと、私が罹った血管が詰まる脳梗塞のタイプがあります。血管の外側は破裂していたわけではないので手術は行いませんでしたが、薬を点滴で血液中に入れ、詰まった血栓を溶かす処置がなされました。
一番つらかったのは、入院して2日目と3日目でした。両手に点滴や薬のチューブが繋がれて、ベッドから起き上がれない状態で、頭痛はするは、水はむせて飲めない、一晩中、喉にタンが詰まるは、声もかすれるは、物は二重に見えるは、しゃっくりは止まらないはで、それは辛かったです。
脳梗塞という病気は、ひとつ間違えば死もしくは重篤な障害が残る危険な病気でしたが、幸運なことに大事に至らず回復に向かいました。4日目には立てるまでになりましたが、真っ直ぐ立てなかったです。20秒じっとしていると体が自然に左に傾いてしまいます。目をつぶると10秒しか真っ直ぐ立っていられない状態でした。時間の経過とともに、徐々に歩けるようになったものの、最初の病院を退院する頃は、まだ片足立ちで1分、バランスをとるのが難しい状態でした。
次に転院したリハビリ専門の病院で毎日訓練して、やっと普通に生活できる状態までになりました。リハビリテーションについて少し説明します。病気やケガなどで治療を受けた後、社会復帰のために行う訓練を総称して「リハビリテーション(リハビリ)」と言います。現在、国は、団塊の世代が75歳以上になる超高齢化社会を前に、効率的な医療・介護の体制を整えようといろいろ対策を取り始めています。診療・介護報酬の見直しとリハビリを重視するといった検討がなされています。病気の回復期に行うリハビリが、患者にとっても、国にとっても良いことがはっきりしているからです。つまりリハビリにより早く患者が回復すれば、入院から在宅への移行が短くなり医療費が削減できるからです。
私が入院したリハビリ専門の病院、患者数180名に対して、お医者さん3名、リハビリ専門家50名、看護師76名、看護師の手伝いをするケアワーカーと呼ばれる方々51名合わせて、約180名と患者と同じだけスタッフがいる病院でした。
また建物の見た目はスポーツジムのような施設でした。患者の平均年齢は75歳で、ほとんどが年配の方です。でもリハビリを担当するのは、平均20代後半の若い人々が多く、病院スタッフ全員が、明るく、挨拶もしっかりしていて、とても活気のある病院でした。メインのリハビリは、「立ち上がる」「歩く」といった基本動作の回復を図る理学療法士と、日常動作、特に手を動かす訓練を担当する作業療法士、言語障害や、食べ物を飲み込む際の障害(嚥下[えんげ]障害と言います)の改善を行なう言語聴覚士の方々がチームを組んで対応してくれます。
これらの方々は、専門の大学で学び、研修を終え、国家資格を持った人たちです。これらの方々から毎日指導、訓練を受けていました。病後1ヶ月、歩けるには、歩けるのですが、バランスをとるために、ついつい足が開き気味になって歩いていました。タンデム歩行という一本の線を想定して、その線の上を歩く訓練があるのですが、これが最初できなかったです。
理学療法士の方から、体のバランスがうまく取れないのは、私が歩く際、左肩が下がり、腰は右が下がっているからだと指摘を受けました。健康な人でもシンメトリー、つまり左右が全く同じ、という人はまれなので姿勢が若干崩れているのは普通なのですが、私の場合は姿勢が崩れた状態で、どんなに歩く練習をしてもバランスを取るのは難しいと言われました。
そこで、まず正しい姿勢をとる事を最優先し、体を伸ばす運動や、筋トレをしていました。他にも、退院後の車の運転を想定してドライブシュミレーターの操作や、外出して梅屋敷の商店街を歩いたり、電車に乗ってJR川崎駅まで行き、人混みの中を歩いたり、自転車に乗ったりといった訓練をリハビリ専門家の方々に付き添ってもらいながら行なっていました。
これら訓練を終えて社会復帰し、今、見た目には特に病気だった事は判らないと思います。急に振り返ったり、曲がったりという動作は、未だ若干不便ですが、体のバランスは、だいぶ良くなって普通に歩けるようになりました。
ただ、寒くなった影響でしょか。右側の手足の温度感覚の鈍さが以前より鮮明になり、長時間仕事をしていると極端に指先が冷たくなったりしてきますので、1時間に1回は休憩して体をほぐす運動やストレッチをしています。
最後になりますが、私が最も言いたい事を2つほど。一つ目、「頭は大切に」ということです。たまたま同じ病院でリハビリを受けていた患者さんで、私より1つ年上の方と知り合いになりました。その方は、自転車に乗っていて転んでしまい、頭を打って記憶が飛んじゃったそうです。家族の顔は覚えていましたが、見舞いにきた会社の人が誰か思い出せない。話しているうちに、だんだん思い出せるという状態だったそうです。体のケガはすぐに治って、健康そのものでしたので、「何で早く退院させてくれないのか」とよく愚痴っていました。入院期間は私より1カ月長かったですが、無事退院されました。この方と会って以降、私は自転車に乗る際には必ずヘルメットをかぶるようにしています。皆さんも頭に怪我しないよう十分気をつけてください。
二つ目、「病気をして初めてわかる、健康の有り難さ」です。「健康第一」です。歩いたり、話しをしたり、食事をしたり、仕事をしたりと、健康であれば何ら気にも留めない普通の事が、病気になってしまうと出来ないです。発病して救急車で運ばれている際、「死ぬ事」は無いだろうとは思いましたが、将来、車イスや杖が必要になるのではと最悪の状態を想像して暗澹たる気持ちになった事を思い出します。
リハビリを受けている際、先生に「お酒はそんなに飲まないし、タバコも吸わないし、人間ドッグにも毎年行き、運動も適度にしていたはずなのに、このざまです」と自嘲ぎみに言った事があるのですが、その際、先生は、「普段、そのような生活をされていたから、こんな軽い症状で済んだのでは」と言われ、ハッとさせられました。
最初にも言いましたが、この病気は本当に危険で、お医者さんに言わせると、この病気に罹って同じ職場に復帰できるのは3割の人しかいないそうです。この病気に罹って不幸だったかもしれませんが、見方を変えれば、この程度の後遺症で済んで幸運だったわけです。
家族や、多くの方々、医師、看護師、リハビリの先生、会社の皆さんに支えられて、やっと復帰できましたが、この病気、1年ぐらいは再発し易いと聞いています。「あせらず」「あわてず」「あきらめず」今後も生活と仕事をしていきたいと思います。
まだ完全復帰とは言えない状態で、皆さんにはご迷惑をおかけしますが、無理をしない範囲で、徐々に以前の体調に戻していきますので、もうしばらくお待ちください。ということで、今日は私が罹った病気についてお話させていただきました。清聴ありがとうございました。